日曜日の静寂

静かに。そして、強く生きていきたい。一口馬主とFXと。

一口馬主出資馬60連敗越え・・・いつ勝てるのか・・・

ポートフォリオ日記

サイト内検索

23年7月29日のエメヴィベールの麒麟山特別の勝利以降勝ち星に恵まれておりません。
すでに60連敗以上…
さてさて、、、どうなっていくのやら。。。

引退馬たち

まずは23~24年にかけて引退となったお馬さんたちです。

ラヴォラーレよ…永遠に…

ローレルクラブ所属のラヴォラーレ。
24/3/23の中京11R伊勢Sで競走中止。
右第三中手骨開放骨折となり、予後不良となりました。
ラヴォラーレは、私に一口馬主初勝利をプレゼントしてくれ、そしてその後1勝Cを連勝。連勝の喜びもプレゼントしてくれました。その次走となったのが夏の新潟レパードS。重賞への出走という快挙も成し遂げてくれました。結果は8着ですが、今思えば重賞で1桁着順で帰ってきたんです。すごいことですよね。
その後は、2勝Cも勝ち上がり3勝Cへと出世。3勝C昇級初戦の鈴鹿Sであわや勝利かと思われる2着となりました。結果としてこれがキャリアハイとなりましたが、オープンクラスと見まごうほどの活躍といえるかと思います。

ラヴォラーレは父オールステイ。ローレルクラブでの募集総額は500万円(200口募集・一口25,000円)と、牡馬としては破格の募集価格でした。
オールステイはラヴォラーレ以外でJRAでの勝利はない種牡馬でした。
3戦目、未勝利戦で2着に入ったとき、その時の賞金は200万円、出走手当やその他付加賞を合わせると約280万円。この1戦で募集代金の半分は出た計算でした。
ここで怪我をして数か月の休養後復帰戦で未勝利戦を勝利。
この時点で募集代金をペイしたうえに、ここまでの4戦の出走手当その他付加賞を合わせて、飼い葉代金も出るほどでした。
そのご、1勝C、2勝Cと勝ち上がり、3勝Cでもたびたび掲示板入りするほどの活躍は、安価な募集価格だったこともあり、当ポートフォリオでは稼ぎ頭といえる活躍でした。

単純な競走成績で見ればオープンになれなかった準オープン馬ですが、私にとっては思いれの非常に深い馬となりました。

募集がかかっていた時は、骨太でごつごつした馬体だなと思ってみていました。

ピアノコンクール18

早い話が丈夫そう。丈夫なのであれば、勝ち上がってさえしまえば、息長く細々と活躍してくれるんではないか。募集価格からしても、1勝してくれれば大正解。未勝利クラスでも掲示板に何度か入るくらいの活躍でも十分ペイできるという打算から出資したのですが、望外の活躍でした。
次第に愛着もわいてきて、むしろ、ラヴォラーレがいつ出走するのか、どこに出るのか。何が起きているのか、一番気になるようになっていきました。
ラヴォラーレがいなくなって約1か月。
心に開いた大きな穴はいまだ埋めきれていません。

ケリーズノベル~マジで?今からだろ??~

本当にこれからだと思っていた馬がシルクホースクラブのケリーズノベルでした。
2~3歳時には、未勝利戦を勝ち上がることができませんでした。
しかしながら陣営は当然のように古馬になってからも格上挑戦で勝ち上がりを目指すという方針を立て、そして、格上挑戦緒戦に非常に強い勝ち方で勝利。続く1勝C。1勝Cといっても、前走勝ちあがっているレースは格上挑戦で1勝Cで勝利を挙げているわけですから、同じクラスの1勝Cは断然人気。そして、人気通り強い勝ち方で連勝します。
2勝Cに昇級してからは、芝・ダート両方で2着に入る活躍。万能性も見せ始め、そろそろ現級は卒業かなというところまで来ていました。
また、選択の視野を広める意味もあり、障害練習も組み入れていて、最初のうちは飛ぶ気がなさそうということでしたが徐々にやる気を見せ始め、飛越は非常にうまくなったということでした。
2勝Cを勝ち上がり、3勝Cでもし頭打ちになるようなら障害に転向するのかな?と思っていた矢先でした。
4月7日中山9R。
3番人気で迎えた印西特別。D2400mは得意と言える距離というのもあり、おまけに直前までの調教から調子のよさがうかがえていました。
しかしいざレースが始まると全く前に進んでいない様子。TVからも次第に映らなくなり、終わってみたら競走中止。2戦続けての心房細動という診断結果が出ました。
レース後クラブからの報告で、重度の屈腱炎発症との報告が。
これにて引退となりました。

ケリーズノベルは、シルクホースクラブでの出資馬第1号です。
抽選優遇を使ってとったお馬さんで、ハーツクライ産駒でした。
血統的な評価でいえば、中長距離の芝のイメージで、日本ダービー、菊花賞を目指せる逸材だと思って出資しました。
デビュー緒戦は14着。しかも、全く走る気がなさそうな感じで、この先に不安の影を落としたのは間違いはありませんでした。
再調教・再育成となり3か月後。デビュー戦は芝でしたが2戦目はダートに変わっての競馬。
緒戦と比べれば幾分かマシになったとはいえ、頭は高いし、騎手の言うことを聞いていなさそうな感じは治っていなかったと記憶しています。
その後骨折。そして復帰戦となった3戦目に4着と掲示板入りを果たし、先に向けての光が差し込んだのが3歳の8月。要は、未勝利戦がもうない時期でした。
4着に入ったことで格上挑戦でJRAにとどまることになったのだと思いますがその格上挑戦1戦目にしてきっちり勝利を挙げたところで素質開花の片りんを見せてくれたと思っています。
ケリーズノベルは少しけがっぽいところがあったのは否めません。
しかし、障害で1度か2度は使ってもらえると思っていたため、一度も使わずに引退になったのは本当に悔やまれます。

Share / Subscribe
Facebook Likes
Tweets
Hatena Bookmarks

フォロー・チャンネル登録よろしくお願いします

最近の投稿