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一口馬主のきっかけ【キョウトシチー】~1997.10.10 金沢競馬場 白山大賞典~

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一口馬主のきっかけ【キョウトシチー】~1997.10.10 金沢競馬場 白山大賞典~

金沢に一線級のJRA馬が来る!
当日は金沢競馬場は朝から満員の様相だった。

美和
オーナーが一口馬主を始めるきっかけとなったレースとのことですね。

静寂さん
そうそう。時代は97年。Windows95が登場して、まだWindows98が登場していない時代だね。
僕はまだインターネットもやったことがないような時代だね。
そんなときに、キョウトシチーという馬を知った。
あまり見かけない勝負服だよなと思って馬主欄をみると、友駿HCと書いてある。この【HC】ってなんだよ?っていうところからはじまった。

美和
そして調べてみたら一口馬主という制度というか投資ファンドがあると。友駿は老舗の一口馬主クラブで、過去にはゴールドシチーという今でいうG1ホースを産み出してると。

静寂さん
そうそう。そして、他のクラブも探してみたら、黄色と黒の縦じまのあの社台RHは、実は一口馬主クラブなんだってことが分かった。
しかしながら1/40ということで、2000万円の馬なら1口50万と。まだまだ若かった僕にはちょっと敷居が高いかなと思った。
ほかのクラブではヒダカブリーダーズユニオン。コチラはサンドピアリスという馬を輩出していて、エリザベス女王杯の勝ち馬だね。
エリザベス女王杯を勝ったときには出資者、関係者を招いて祝賀パーティーを開いたっていうのがパンフレットに書かれてて、いいなぁ華やかな世界だなぁと思った。

美和
その頃は、一口で重賞戦線といえばもう社台RHしかないような時代でしょうか。

静寂さん
そうだね。ほぼそうかな。ただ、ここからシルクについては、早田牧場がブライアンズタイムを有していたことから、シルクジャスティスやシルクプリマドンナなど、重賞~G1級がぽつぽつ出てくるかな。

美和
そんな世界があると。この97年の10月10日に気づいたんですね。

静寂さん
そう。なにせすごいんだぜ。
当日金沢競馬場に30人程度のグループがいて、みんな何かしら友駿の勝負服っぽいものを持ってるか来ているかしているし、JRAだと当たり前のように掲示されてるけど、パドックの垂れ幕ね。
【がんばれシチー軍団】っていう垂れ幕。なんか異様なグループでね。
僕はレースの際は金沢なら、ゴール真正面で見る(いつもガラガラだからそんな特等席で普通に見ることができる)んだけど、その周りにシチー軍団がいてね。
1着で駆け抜けたときに、よしっ!とかってなんていうのかね。馬券が当たったときの喜びとはまたちょっと違う空気の喜びにあふれていたんだよね。
まあ、今は一口馬主で出資馬が勝ったときの喜びが僕にもわかるから、地方のJpn3(当時はまだG3だった)とはいえ重賞だからね。今になって思えばあんな空気になるのもうなずける。
そういうのがあって、家に帰って調べたらあのキョウトシチーって馬って、一口馬主っていう制度の馬で、500口に分けられて出資者がいるっていう形態の馬なんだってのがわかってね。
そういうのがわかってきてカタログを請求していろんなクラブを調べたのは覚えてるな。
結果、まだまだ若かった僕には100口募集でも少し敷居が高く感じたので、500口募集だった友駿を選んだんだよね。いまは、400~500口募集って当たり前みたいになってきたけど、当時は小口クラブなんて言われてたね。今は1000口とか5000口なんて言う超小口もあるくらいだけどね。
あと、シルクと友駿の違いは、結果としては馬の質の違いでもあるんだけど、安価に複数頭に出資できるパックみたいなプランがあって今のノルマンディなんかでやってるような感じのものかな?とりあえず3頭1パックになっているのを1口と、自分で選んだシンボリルドルフ産駒に1口、それに、サンデーサイレンス産駒が特別に募集されていて、一口1万で6000口とかっていうの。これを特別募集していた。
更に同じように一口1万円で5000口くらいだったかな?ブライアンズタイムの仔も募集されていたのと、当時は外国産馬全盛の時代でヒシアマゾンやタイキブリザードなど、外国産馬は走ると言われてた時代で、特別追加募集としてプレザントタップ産駒を仕入れてきた。3000万募集総額、1口6万!ってのをやってた。
良い馬体してたのは今でも覚えてるし、走りそうだったんだよね。けど、クラシックに出れねーからななんて、まさか1勝するのがこんなに大変なことだとわかっていないこの時代w。
外国産馬はケンだなって出資しなかった。
が、この馬が実はタップダンスシチーであるというねw

美和
あっちゃーw
ドライスタウトが初めての後悔かと思っていたらもっともっと前から、初年度から後悔しきりじゃないですかw

静寂さん
そうだねw
で、97年度には、友駿で一口馬主に参加することになった。
で、その翌年。キョウトシチーは2年連続で白山大賞典に参戦。昨年以上にまとめてきていたんじゃないだろうか。
僕はといえば去年出資した馬が2歳馬となり、そろそろデビューを迎えるんじゃないかというタイミングだよね。
まさかこの後、サイレントシチー以外のすべての馬が怪我をして引退。当時は代替馬措置を取っているころで、だから、自分が選んだ馬ではない馬にすげ変わっていくんだよね。
それで嫌になってほとんどの馬がデビューする前に退会することになるんだが。。。

美和
かたや友駿のエースキョウトシチーは目の前で白山大賞典を2連覇するわけですか。

静寂さん
そうだね。僕から見たら羨望だよ。うらやましくて仕方なかった。重賞を勝って、ヨシって。仲間と握手してんだよ。格好いいでしょうw
俺もあの馬たちでいつか。。。なんて夢見たよね。
その時、タップダンスシチーに出資していれば、地方重賞どころかJRA最高賞金のジャパンカップまで勝っちまうんだけどね。。。ここがね。。。w

美和
ほんと、いつも言ってますが、かえすがえす残念なオーナーですねw

静寂さん
この時に嫌になって退会してから20有余年w
改めて一口馬主を始めたけど、今は順調なのかな。キョウトシチーやタップダンスシチーみたいな重賞クラスは今のところいないけど、勝つ喜びは存分に味わわせてもらえているしね。
あのキョウトシチーを見ていなかったら今も始まってないのかなと思うよ。

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