日曜日の静寂

静かに。そして、強く生きていきたい。一口馬主とFXと。

昭和生まれの少年の遊び - 2

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ラジコンとミニ四駆

小学校4年生の私は、本物のラジコンが欲しくてほしくて仕方がなかった。
本物というのは、ようは、組み立てが必要なラジコンだ。プロポ(操縦するための送信機)やバッテリーも別売りの、本気のラジコンだ。
町のプラモデルショップ(通称プラショ)のショーウィンドウにワイルドウィリスというRCのキットが飾られていた。

これが異常に格好よく映るのだが、キットだけで定価8000円くらいだった。
小学4年生に8000円は、なかなかの大金である。それにこれはキットだけの値段であり、プロポやバッテリー、バッテリー充電器などは別途買わなければいけない。2~3万はかかる計算だ。
さすがに手が出ない。

ミニ四駆

そんな時、1000円でおつりがある自動車のおもちゃがあった。
ミニ四駆だ。

ミニ四駆は登場したときは、RCのミニバンで、4WDのRCを乾電池でまっすぐ走らせるだけのおもちゃだった。
どうしても欲しかったホットショットのミニ四駆と、ワイルドウィリスのミニ四駆2つを買ったのを今でも覚えている。
当時はレースなどは考慮されておらず、あくまでRCのミニチュア版おもちゃだったのでワイルドウィリスのような大型のタイヤを付けたミニ四駆も出ていた。
また、初期はレースを想定していないので、コーナーを曲がるためのボタンのような輪っかを取り付けるビス穴も開いていないし、タイヤはRCモデル同様にイボイボのオフロード用タイヤがついているものだ。
遊び方は、まずは小学校や幼稚園の砂場、悪路を走らせ楽しみ、次は山や谷を作ってそこを走破するのを楽しむただただそれだけの玩具だった。
これを遊ぶことでよりラジコンへの欲望が高まる結果になっていくのであった。

初めてのラジコン

このころ私の愛読書はコロコロだった。
ドラえもんというキラーコンテンツを有する小学館が送り出す小学生向け漫画雑誌だ。
そのころのコロコロといえばファミコン、ドラクエなどの攻略法や裏技、ダイの大冒険など、ファミコンゲームコンテンツからラジコンボーイを中心としたラジコンコンテンツが充実していた。
そして、どうしてもラジコンが欲しい僕は、2か月に1度くらい、RCマガジンという、ラジコンの月刊誌を買っていた。
確か1000円くらいしたので毎月は変えなくて2か月に1度くらい買っていた記憶がある。
この雑誌の最後のほうには、通信販売でRCキットなどを販売している業者がたくさん並んでいて、これが安い。
タミヤのRCなら、キットの定価でプロポ・バッテリー・充電器がついてくるくらいのセットがあったりする。
ただ、今と違い、通信販売なぞ、ほとんどない時代。
また、運送会社も、一般家庭に運送会社が何かを届けに来るなんてめったにない時代だ。
当然両親に反対というか懸念を表明されるわけだ。
どうしてもRCが欲しい僕は、その両親の反対を押し切り、お年玉でRCを買うことに。
狙いはサンダーショット。本当はコロコロラジコンボーイに出てくるサンダードラゴンだったのだが、友達が先に買ったのでシャシーは同じだけどボディが違うサンダーショットにした。これなら、後々ボディをサンダードラゴンやファイアードラゴンにも変更できるはずという目論見だ。
RC完動セットで確か3万円前後。小学4年生のお正月ではかなり高額の買い物だ。
しかも、雑誌の裏に書いてあるどこに所在地があるのか、本当にあるのかもわからない通信販売会社からの購入だ。
電話も子供ではもしかしたら舐められるかもしれないと、親父にお願いして注文してもらった。
一応注文は確定して、到着は1か月後。この時から代金引換払いはあった。

1か月後。まちにまって、毎日家の玄関を開ける人がいると、いよいよ到着したか?とのぞき込む始末。
いよいよ到着した。今でも覚えている。こんにちは佐川急便でーす。と来たのを今でも覚えている。
到着。そして開封。
当然だが、組み立てが必要なキットだからプラモデルのようにバラバラだ。
RCは、1/10スケールということで自動車の1/10くらいの大きさだ。
要は意外に大きく、そして本格的なのだ。
タイヤ近辺にあるバネは只のばねではない。ダンパー用のオイルを充填してばねで戻す。いわゆるオイルダンパーだ。
実車にも搭載されている。
要は本格的なカーなのだ。
デフギアの搭載、スタビライザーの搭載など、本当の自動車並みの機構をもっていて、小学4年生にはなかなか壁の高いおもちゃだったが、3日ほどでくみ上げた。
速く走らせたくて仕方がなかったのだ。
人間とは一度経験したことは次はスムーズにできるように学習するのだが、このとき3日かかったRCの組み立てがこの1年後くらいには説明書をほぼ見ずに、10分くらいで組み立てできるようになるのだからすごいものだ。

初走行

作ったサンダーショットを始めて走らせる。
確かちょうど春休みくらいだったと思う。
どこで走らせるのがいいのかもわからないので、家の前の道路で。
まだまだおおらかな昭和の時代で車もほとんど通らない住宅街の道路だ。
ゴム製のオフロード用のイボイボタイヤでアスファルトを走らせる。
速い。自分が思っている以上に速い。下手をしたら腐った軽四より早いかもしれないほど。
それでも、この時点ではノーマルの540モーターだ。
そして初めて知ったのは、RCの7.2Vのバッテリーは持って15分。レースなら10分程度をめどにしない
そして、バッテリーの充電には大体8時間かかるのだった。

ミニ四駆でレース

小学生の精神のまま中学生となった私は、中学生になってからも引き続きラジコンとミニ四駆に没頭していた。
夏休みに、タミヤがジャパンカップという名前のミニ四駆大会を開催。
私の地元にも来ることになった。
そのタミヤのジャパンカップに合わせるかのように、市で主催するミニ四駆大会が毎日開催されることになった。
これは、私にとって、大きな大きな夏休みなるのだった。
さらに輪をかけて、隣の市で、タミヤのRCカーグランプリの地方大会が開催される。
友人と一緒にエントリー。RCも仕上げていかなければいけなくなった。

ミニ四ファイター

ミニ四駆にはミニ四ファイターという、キャラクターがいて、コロコロに毎号登場していた。
こんな改造が速いとか、このパーツはこういう時に使えるとか、そういう解説をするキャラクターだ。
第1回ジャパンカップのコースは、ごくごく一般的なものではあるのだが、同時に公式コースで使用する材料で作られた練習用のコースというのが同時に販売され、スネ夫的お金持ちの友人が買ってきた。
そのコースを使って毎日練習をする。
今は死んでしまったじいちゃんが、毎日僕たちのミニ四駆の練習を見ていたのが懐かしい。
その部屋は仏間でいまは、じいちゃん、ばーちゃんそして親父が入った仏壇が置いてある部屋だ。
今もあちらで懐かしく思っていてくれればうれしいのだが。

そんな練習を重ねわかってきたのはハイスピードギアで走らせると、吹っ飛ぶことが分かってきた。
改善方法はいくつかあるが

  • もっとローハイト(低重心)化する
  • 曲がりやすくなるホイール(ワンウェイホイール)を取り付ける
  • ギアを落とす

この辺りが考えられる。
ラジコンもやっている私にはパーツを買うだけの余裕がなく、ギアを落とすことにした。

いざ本番!予選!

自分なりにベストのマシン構成をとったつもりだ。
ワイドローハイトのスポンジタイヤをさらに薄くして超低重心。
ボディも肉抜きをしまくった、低重心ボディのバーニングサン。
曲がり切れるように調整した、スピードギアを搭載。
これで行けるはずだ。

スタート。
スタートと同時にライバルが吹っ飛ぶ。
予想通り、ハイスピードギアでは曲がり切れずに吹っ飛ぶのだ。
一気に僕ともう1台の2台の戦いに。
しかし。走るたびに差が開く。向こうはハイスピードギアで曲がっている。
こちらは吹っ飛ぶ心配は一切ないがスピードギアで、スピードレベルが一段違う。
どこかで吹っ飛んでくれれば私の価値なのだが。。。
そのままゴール。
ライバルは吹っ飛ぶことなくゴールした。

コロコロに掲載された優勝マシン

最後の本選、決勝まで終わったジャパンカップ。コロコロに日本一になったマシンが掲載される。
驚いた。シンプルにシンプル。
レース用パーツとして初期段階に販売されていたワンウェイホイールで、薄型のスポンジタイヤ。
ワイドタイヤでもない。ギアはハイスピードギア。
肉抜きは上部だけ。下部は低重心化するためにあえて残す。
スポンジタイヤはより滑りやすいものを選ぶといったことだった。
いろいろ悩んでスピードギアにした私は、勝てることはなかったようだ。
上には上がいるのをことごとく知らされた夏休みだった。

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