日曜日の静寂

静かに。そして、強く生きていきたい。一口馬主とFXと。

景色~人生の色模様~ - 2

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学校の景色

信三さん、三六協定って聞いたことありますか?

熊田先生は、労務管理について教鞭を取ってくれる先生だ。
大都建材を退職した信三は、職業訓練校で職業訓練を行っていた。
所属課は、経営実務課。労務・財務・経営という分野のカリキュラムを半年かけて学ぶ学課だ。
といっても職業訓練であり、無職の人間が半年間訓練を受けて就職できるようにしてくれる学校施設で、職業安定所が所管のいわゆる【学校】だ。
同期生は自分が最年少で25歳、最年長は定年退職して腰かけ程度に来ていた70歳のじーさん。
職業訓練校だから年齢は全く関係がない。
経営実務課はほかの学課と違って経営を学ぶカリキュラムなので来ている人間を見てもちょっとインテリジェンスな感じの人間が多い。

さて、今日はワープロの使い方を勉強しましょう。
これからは書類はパソコンで作っていかなきゃいけない時代ですからね。

担任の高島先生。
年のころにして50歳くらいか。
パソコンが一般家庭にも普及したころだ。

大都建材を退職した際の退職金でパソコンを初めて買った私。
最初のころは、Webサイトで競馬の予想を1万で売って、1か月に100人買ってくれたら月収100万じゃん。ぼろ儲けだ
なんて浅はかな思考でパソコンセット一式50万のパソコンを買ったのだが。
2日でWebサイトを作って公開したがアクセスが1日5人もいない状態で予想を買ってくれる人などいるはずもなく。
どうすりゃいいのかわからないままアクセスアップを目指す仲間たちの集まりの会に入会した。
今の時代ならSEOなんて言う言葉があるが当時はまだなかった。アクセスアップというのがその言葉の代わりだったような時代だ。
そこで、知り合ったのが春本と石川さん。
春本は当時14歳の中二。石川さんは私と同い年の25歳女性。
春本は開成中学現役、石川さんは灘中~灘高出身だそう。二人とも、今勉強してることが、新しくWebで使われるようになったプログラム言語PHPと親和性が高いといわれているDBのMySQLを勉強しているということ。
1週間ほど前に初めてWindowsパソコンを買った僕にはそもそも二人が何を言ってるのかもわからなかった。

春モッチャン。私さ、MySQLのインデックスのかけ方がおかしいのかな?
クエリの回答が遅いんだよ?ちょっと見てくんない?

ああ。石川さん。これ、サブクエリ出しすぎだよ。これじゃインデックスかかんねーよ。

全く何言ってるかわからない。

信三ちゃんはとりあえず、掲示板にカキコミな?時間があったらコツコツ書いていって?

当時は、SEOなんて言うテクニックも意識もない時代だから、アクセスを伸ばすには人がいっぱい来るところでサイトのアドレスをばらまくことが一番のアクセスアップ手法だった。
だから、アクセスを伸ばしたければゲストブックや掲示板なんて言われる書き込み可能なスペースに自分のサイトのURLを張り付けるのが一番の近道だって言われてた時代だ。

職業訓練校で授業を聞いているふりをしながら掲示板にカキコしまくっていた。

ネットの住人

23時。
必ず23時になってからネットをつなぐ。
テレホーダイの時間になるからだ。
今でこそ、光など高速通信網が田舎でも整備されている昨今だが、Windows98の時代は、そのほとんどが一般電話回線での接続だった。NTTがやっとのことでISDNをリリースしたころだ。
プロバイダが使い放題のプランで月額1万円程度。これに、通話料がかかる。
日中にネットに接続していると、電話回線は使っているわ通話料がバカ高いわで、家族にいくらでも怒られる。
それが、月額1600円で23時から明朝8時まで掛け放題になるという契約プランがあったのだ。
なので、23時を過ぎたらネットをやるというさながらオタクといわれる生活が始まった。

そして、職業訓練校には光の専用線が整備されていて、要はネットが使い放題だ。
経営実務課の生徒は、penthiamu2搭載の超ハイスペックPC(当時最高峰CPUがPentium2だった)が1台ずつ貸与されていたし、この時代にモニタは液晶モニタだった。
ハイスペックマシンに液晶モニタ。
おまけにOfficeは、フルパッケージで、FrontPageにAccess、PowerPointまでつかえる。
お昼は職業訓練校でWebサイトの制作にいそしみ、テレホタイムはネットの仲間とチャット三昧。充実したネット生活を送っていた。

信三ちゃん。今ぷーたろうだよね?
俺と一緒になんかやらない?

春本は賢すぎるほど賢いのだが、まだ中2だ。
まあといっても、中2で創業するって子だってたくさんいるんだが、春本の家はもともと関東でも有数の本屋さんを家業としてやってる家だそうだ。だから、自分が頭で創業するのはちょっとな...ということで手が空いている大人の私に声をかけてきた。

まあ、それは良いんだけども、何やるの?

ホスティングサービスなんていいかなと思ってんだけど、やってみる気ある?

なんだよホスティングサービスって。私にわかる言葉で説明してほしいものだ。
当時は、独自ドメイン1つとると、年間1万以上はかかったものだ。
今でこそ、gtld(.comや.netといわれるドメイン)なら年間1000円も払えば取得できるが、当時はまだまだ企業が取得するような高価なものだった。
そのドメインと、ホームページのスペースのレンタル事業がホスティングサービスだそうだ。

計算してみたんだ。
1サーバーに100ドメイン収容すると想定して、月額3000円。3000円なら、今の時代かなり安いほうの部類になるからね。
100ドメインくらいはすぐ埋まると思うんだ。
てことは、1サーバーあたり、3000×100=30万円/月っていう計算だね。
サーバー機を10台も持てるほどのお客さんがいれば、安泰のビジネスでしょ?
そして、この事業のみそは継続性ね。
ほとんどの人は、一度契約したサーバーとドメインは別業者に切り替えしないもんだよ。
手続きや手間が面倒じゃん?
月額3000円で、見つけてきたのが2000円のところがあったから引っ越すわって、データの移動やドメインの移管なんて言う煩わしい作業がそう簡単にできるもんじゃないからね。だから、とればとるだけ来年も、再来年も続くと思うんだよ。

面白いビジネスを思いつくもんだ。
何かあるわけではない私は、確かにビジネスプランは面白いと思って乗っかろうとおもった。

で、それって、どうやってやるの?サーバーってどこに行ったら売ってるの?

いや、信三ちゃん、どうやってやるって、想像してみ?
ホームページのサーバーって、当然だけど、24時間365日、動いてて普通でしょ?
信三ちゃんの家において、24時間365日稼働し続けることはできる?
データの保障も必要だよね。何言ってるかっていうと、電気設備もそうだし、回線のこともそう、火事なんか起きて止まりましたってんじゃどうにもならないし、もし事故が起きたときいかに素早く復旧するかだよね。
それらをすべて加味すれば、自宅なんかでできることじゃないのはわかるよね?

うん。何となく...

だから、まずは、そういう場所を見つけて契約しなきゃいけない。
そういう場所のことをデータセンターっていうんだけどね。まあ、すでに見繕ったのがあるのでそれを契約しよう。

すでに見つけてあった。
その業者は、小さいサイズのラックを用意してくれる業者で、スタートアップからサーバーラック満杯にはならないので、最小限のスペースだけを借りられる業者だった。
春本はただただビジネスプランを語る人間ではない。自前の手持ち資金やスキルに合わせて提案ができるのだ。

次はサーバーな。
データセンターで置く場所は見つけてあるんだが、置くものはまだ見つけてない。
例えばこういうのとか、こういうのとか。。

見せられたものは、私が使っているようなPCとは全く違う形をしている
平たい細い、それでも何となくコンピュータっぽいものだ。

これ、、、何???

これがサーバー機だ。まあ中身は信三ちゃんが使ってるPCのもっとスペックのいいってだけの機械だけどね。
排熱性と収容性を意識したつくりになっていて、その結果こういう平べったくって奥行きはあるけど薄いっていうマシンになるわけだ。
これを買って、そうだな。。。俺はRedHat系が得意だからそこら辺のLinuxを入れて、webサーバーとメールサーバーを構築してだな。。

まってまって、RedHatってなに?Linuxってなに?

そうか、、知らないわな...だって、信三ちゃんPC触ってまだ3か月って言ってたもんな。。

PCを買って3か月くらいの私にはPCの世界はほぼすべてがWindowsであり、WordやExcelがせいぜいなのだ。
そんな人間がいきなりLinuxといわれても分かるはずもない。

まあ、当面はサーバー運用の面は俺がやってくが、いずれ覚えてくれな。

これが、私の原点である。
今は、Linuxを触るのが怖いなんていう感覚はみじんもなくなってしまったが、当時はなんだか異世界の、GUI全盛のWindows時代に、黒い画面にコマンドを打つことで商売が成り立つなんて考えもしなかった。

先生

信三君。君、うちでちょっとバイトする気ない?

熊田先生。
私が職業訓練を終了する1か月ほど前に、先生から打診があった。
ちょうどこのころ、PCというのが一般家庭にも普及し始めたようなころで、企業も今後はビジネスを展開していくにはPCが必須だろうという意識が出てきたころだ。
よって、職業訓練にもPC操作についての訓練が必須化する必要が出てきて、次年度からは実際のカリキュラムで正式にPC操作という訓練をする必要が出てきたそうだ。
しかし訓練施設ではいわばコンピュータ機器の管理担当者は1人入るが、複数のクラスで指導できるだけの先生がおらず、外部の行使に頼ることとしていたようだ。
そこで、授業も聞かずにPCを毎日いじっている私に声をかけてきたのだった。

先生喜んでお受けいたします。お願いいたします。

時給条件とかはこの紙の記載の通りなんだけど、職業訓練校なのにさ。雇用保険や社会保険は自分で掛けてほしいんだっさ。。。
それと、1日の勤務形態は1日4時間まで月間10日までって決まってるんだってさ。
だから、収入に最初から上限があるわけよ。そして、時給は悪くないけども、勤務時間の制限のため、信三君の年齢からみてもちょっと少ない稼ぎかな。。。
ほかにも何かバイト探したほうがいいかもね。

先生そこは大丈夫です。
僕、いま、ホスティングサービス事業をやりたいと思っていて、今その下準備しているのと、人にものを教えるという仕事に興味があって、PCスクールにバイトに行くことも決めました。
こちらの仕事と両立できるよう、PCスクールの勤務体系も調整しました。

当時はちょうど時の総理大臣が、世の中のIT化を進める、10年以内に全家庭に光を引き込むとかいろいろのたまってた時代だ。
しかし、遠く離れず今はそういう時代になっている。
そして、その時、政府から地方自治体に予算が流れ、その予算で、PCの基礎講座を各地で開催していた。
委託先はPCスクールということが多く、私もバイト先のPCスクールから、何か所かIT講習会の講師をするよう命じられていた。

PCスクールの仕事は私には向いていたのか、非常に充実していて、楽しい仕事だった。
このころはちょうどPCの資格がたくさんできてきたころで、WordやExcelの検定は2級程度までは1人も落とさず、CADの検定も1級を同時に30人合格させたり、それなりの実績もできたころだ。

原点

信三君。
高倉さんと一緒に海老沢公民館ね。大丈夫、行けばわかるから。

PCスクールベータに入社した1日目。社長の指示だ。
採用は、自宅のある市の支店の予定だったのだが、どうしても、本店の人出が足らないということで、初日だけ本店に行ってほしいということだった。
そして、いったら社長の開口一番がこれだ。

えっ?僕、今日からで、まだ何にもわかってないんですけど...?いきなり出張講習の先生ですか?

大丈夫、大丈夫。高倉さんの補佐やし、漁師さんの組合のPC基礎講習だから。ダブルクリックができればOKよ

石沢社長はバリバリのキャリアウーマン。毎日ひざ上20㎝のミニスカートだ。

信三さん。始めましてぇ。高倉です。今日はよろしくお願いいたします。

高倉さん。新卒1年目の23歳。私が好きなタイプの女性だ。

あぁ。はじめまして。僕は本来支店のほうなので今日だけかもしれませんが、よろしくお願いいたします。

結局1年間、人手が足らないといわれ続け、本店に行くことになるとは思いもしていない初日だった。
PCが一般普及し始めたころ、政府・自治体が予算をつけて、各地域や各業種で、PC操作基礎講座としてIT講習会をかなり手広く展開していた。
このスクールでも、相当数の委託を受けていた。
先ほどの漁協の講習会補佐の3日後、私は正式な講師としてIT講習会を行うことになった。

社長いくら何でも、1週間もたたないのにいきなり先生はまずくないっすか?僕カリキュラムも頭に入ってないんですけど?

大丈夫大丈夫。今回の講習会の補佐は私がつくから大丈夫。この次からはうちの娘の愛子と一緒に行くんだよ?

まじですか。
社長の娘の愛子は現在高校二年生。お母さんに連れられてPCの先生を小5からやってる。筋金入りのPC先生だ。
こんなPCスクールベータは、春本と立ち上げたホスティングサービス事業と並ぶ私の原点なのだ。

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