日曜日の静寂

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地方競馬とJRAのレベルを考える~フォルティウスはJRAに復帰したとして通用するのか~

一口馬主研究会

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1994年。
金沢競馬には絶対王者がいました。
その名もハヤテサカエオー。

ハヤテサカエオーは、金沢競馬でデビューし、引退まで金沢競馬所属のままで過ごしました。
ほとんど金沢競馬のレースだけで1億円近くの賞金を獲得(netkeibaでは、地方所属馬はデータが1994年からしかありません。ハヤテサカエオーは92年デビューで94年までほとんど負けなしの成績を収めています。)、当時の地方競馬最後方レースの一つといえる東京大賞典に出走。競馬場を挙げて応援していたのを昨日のことのように思い出します。

美和
オーナー。ハヤテサカエオーとはこれまた懐かしいお馬さんですね。

静寂さん
美和ちゃんは生まれてないんじゃないのかw当時はね、地方とJRAの交流が始まったころかな。
ホクトベガがJRA所属のまま地方の重賞10連勝という金字塔を打ち立てドバイに遠征に行ったころだね。そして、同じように地方の競馬に打って出て行ったキョウトシチー。
この2頭がしのぎを削っているころで、地方交流重賞元年ともいえる時期かな。

美和
このころの地方競馬ってどうだったんですか?

静寂さん
今回題材にしている年代は92~96くらいかな。だから、バブル崩壊直後って感じの時代だ。
なにを言いたいかっていうと、バブル崩壊直後といったところなので、まだ、地方競馬、JRAともに景気悪化によるどうこう。。。っていうのがまだ出ていない時期だし、96年ってことはWindows95が発売されて1年程度ってことだ。要はネットがまだまだ普及していない時代だね。

美和
要は今とは様々な様式が違う古い時代ですよね。。。w

静寂さん
そうだね。金沢競馬で言えば、やっと勝馬投票券がマークシートで購入できる窓口ができたくらいかな。
馬券種は単・複に枠連と枠単。JRAは馬連までで連単がない時代で、そろそろ馬単とワイドっていう馬券種が発売されるかもって言われてたような時代だね。
当時のJRAの年度代表馬は92年から、ミホノブルボン、ビワハヤヒデ、ナリタブライアン、マヤノトップガン、サクラローレル。サンデーサイレンス導入前夜って感じかなw
でね。
そんな時代で、まだ地方競馬が崩壊する直前くらいの時代の話でこの後は地方新潟競馬の廃止、上山競馬なんかもなくなったよね。不景気のあおりで地方競馬は全滅する時代に向かっていくんだけど、まだその前夜って感じの時代。
長くなったけど、要はまだ、賞金体系が今ほどひどくなかったんだ。
金沢のB級レースで1着賞金が100万円あった時代だ。
今は60万くらいかな?
金沢の重賞、今も金沢では一番大きいレースの白山大賞典、現在は地方交流重賞Jpn3だけど、地方交流重賞前でも、2000万の賞金があった時代だね。
百万石賞など、重賞が1000万はあった時代。300万くらいまで減ったときもある。今は500~700万円くらいが金沢の重賞賞金だ。
今日はまだ地方が良かった時代に金沢の絶対王者として君臨したハヤテサカエオーがJRAの馬に挑戦した時の話をしたい。

美和
たのしみです!

静寂さん
当時、本当に絶対王者といえるほど強かったのがハヤテサカエオー。とくに96年は圧巻の強さで、僕は、ハヤテサカエオーが出るとわかったらあとは相手だけ。
エビスライトオーが一緒に出ていたら、枠単1点張りだったなw。
といっても、がちがちの大本命だから枠単でも2倍付けばいい方だったけど。

美和
確かそのころの主戦騎手だった渡辺騎手って結構凄い方じゃなかったでしたっけ?

静寂さん
そうそう。地方の武豊と言われるほどの成績で、たぶんこのころがピークじゃないかな?
連対率5割近くを誇っていて、しかも地方競馬ならでわの出走回数が異常に多いということがなく、他の金沢のトップジョッキーの半分も騎乗しないのに、倍勝つんだよw
本当にすごかった。まあ、武豊と同じで、神格化されていくから来る馬が全部有力馬になって更にはその中から騎乗する馬を選ぶんだから勝ち放題だわな。そういういいスパイラルにも入ったってのもあって、マジですごかったよ。
当時、ウィニングポストが出たころかな。馬主の勝負服は渡辺騎手と同じにしてたもんだw

静寂さん
その騎手の話になってきた。ここから本題になっていくんだけど、ちょうどこのころ、今のトップジョッキーがデビューするんだ。
福永祐一騎手。
福永祐一騎手の父は福永洋一騎手。かつては天才ジョッキーと言われた方だ。
落馬事故により983勝で引退。68年デビューで最終騎乗が79年だから約10年で983勝。1年100勝ペースは当時で言えば異常な勝鞍といえよう。
そんな洋一騎手の息子が祐一騎手。天才の子は天才というのか。初騎乗初勝利という鮮烈デビューを飾る。

美和
デビュー当初から凄かったんですね

静寂さん
でここから今回の本題のレースになってくるんだけど、96年の5月6日だ。この時点では確かに鮮烈なデビューをした福永騎手ではあったがはやりそうとは言え新人騎手だ。
まだまだ荒いところもあって、勝てないレースも出てくる。
ただ、まだ当時は話題の新人として賑わせていたタイミングかな。
金沢の重賞MRO金賞というレースに、JRAの1500万下クラスの馬を引っ提げて金沢に来ることになった。

美和
ほほう。1500万下というのは今でいう3勝C、準オープン馬ですね。金沢の重賞にチャレンジしに来たと。

静寂さん
そう。今ほど交流が盛んでもないし、先ほど言ったようにWindows95が出たなりのころだからね。データ分析などもまだまだ細かくできない時代だ。
だから、すれっからしの金沢競馬ファンとしては、負けなしのレジェンドハヤテサカエオーが、そんなJRAの準オープン馬に負けるわけがない。しかも、福永が騎乗するジンライなんて、ここ最近1桁着順もままならない成績だ。負けるわけがないでしょうよくらいの気持ちだった。

美和
面白くなってきた。。。

静寂さん
当時福永騎手が騎乗すると、天才騎手の息子ということで、武豊騎手ほどではないけど、騎手人気で馬の実力以上の人気になるケースが多かったんだけど、そんな福永騎手を鞍上に据えたうえでMRO金賞では6番人気だった。1番人気は当然地元の元祖天才渡辺壮騎手鞍上のハヤテサカエオー。
誰しもが負けない、負けるわけにいかないと思っていたと思うよ。
少なくとも負けるにしたって成績の振るわないJRAの準オープン馬なんかには...と。

美和
うわー。。。この話っぷりは...

静寂さん
そう。負けました。ハヤテサカエオーは1馬身差の2着。
2~5着は金沢所属の当時のトップホースたちだから、まあそう考えると、実力としては1500万下て掲示板といったところといえるのかもしれないけどね。
実際現地で見てたけど、1馬身差とはいえこれは勝てないなと思わせる1馬身差だった。
新人でデビューして2か月くらいのひよっこのはずなのに、渡辺騎手よりうまく乗ったなって感じだったしね。馬も強かった。本当に忘れられない一戦だったね。

美和
負けましたかやはり。。。

静寂さん
うん。ちなみにね。この時ハヤテサカエオーより後ろにいた馬で言えば、ミスタールドルフは水沢競馬場のダービーGP、その後地方交流Jpn1になるレースを勝っていて、地方のダービー馬だ。
アラシはJRAの重賞を勝っている馬で、当時金沢に鳴り物入りで転厩してきた馬。エビスライトオーはハヤテサカエオーの2着ばっかりのシルバーコレクターだけど、基本的には2着はこの馬という金沢No2の馬だ。
これらの馬がハヤテサカエオーの下3~5着ってことは、ハヤテサカエオーを含めて金沢の馬たちはしっかり実力を出し切って勝てなかったと言えてもいいかなと思う。
もちろん、人気などの絡みを考えてもジンライは、ちょっと大掛けしたところはあるのかもしれないけど、金沢のトップホースたちがただの1頭も前に出られなかった事実はね。本当にショックだったよ。
そして、一つ言っておかなきゃいけないのはMRO金賞は一応金沢の重賞だからね。福永騎手の初重賞は川崎競馬のエンプレス杯ということになっているけど、厳密には金沢のMRO金賞になるんじゃないかな。

美和
なるほどφ(..)メモメモ当時の時点で金沢のオープンクラスはJRAの準オープンで掲示板に乗れない馬と同レベルかそれ以下というのを見せつけられたということですね。。

静寂さん
そうそう。そしてここからフォルティウスの話になっていくんだけど、まだ地方の賞金体系として、今より高額の賞金がもらえたこの時代ですら地方のA級、オープンクラスでもJRAで言えば準オープンクラスだった。
また、これはオープン級だけの話じゃなくて、今の2歳~3歳クラシックシーズンの馬でもいえるんだね。
この後、金沢にはJRAのクラシックにチャレンジしようとする馬が現れる。

美和
ゴルデンコーク。父サクラトウコウですね。

静寂さん
まあ、サンデーサイレンス全盛の時代にサクラトウコウで日本ダービーに挑もうっていうのも面白い話かもしれないけどねw

美和
まあでも、金沢でデビュー以来負けなししかも圧勝していたんですもんね。そりゃ期待しちゃいますよね。

静寂さん
金沢で圧勝に次ぐ圧勝で迎えたJRAのG2スプリングS。ここで3着までに入れば皐月賞に出走できるわけだ。
単勝人気は6番人気。なにせ負けてないからね。そういう意味ではマイナス材料を探そうにも負けてないんだからマイナス材料自身は無いんだよね。
そういうのもあって6番人気だった。
しかしながら、16着。最下位。そして、後にわかってくるんだけど、このレース、G2だけど、そののちG1で活躍した馬が1頭もいないんだよねw
多分レベルがあまり高くなかったレースと思われる。

静寂さん
そして、同い年でもう一頭。牝馬で現れる。トラベラー。ゴルデンコークのような無敗というわけではないんだけど、大事なところでしっかり勝つそんな堅実な牝馬で、名古屋で開かれた東海クイーンカップというレースを勝ちあがる。このレールに勝つと、JRAのチューリップ賞に出走できるというレースだった。
当然勝ったからにはチャレンジすることになる。

静寂さん
結果惨敗。トラベラーの惨敗、ゴルデンコークの惨敗。これどちらも99年の3月の話ね。1か月の間に2度も打ちひしがれたわけよw
で、そのトラベラーは、JRAで全く通用しなかったんだけど、当時は地方交流G1だったダービーGPで3着に入り、金沢では牝馬ながらに重賞を勝ち年度代表馬にまでなっている。
地方じゃそれなりのトップホースなのに、JRAではブービー。これが当時の力の差だろうと思わせられるほどの実力差だったね。

美和
なるほど。現在はどうなんでしょうね?

静寂さん
まずは、地方でも南関東はまずレベルが違って。ダートに適性があってJRAでもオープンまでいけそうな馬の場合、あえて南関東に置いておくケースもありそうかなと思うんだ。なぜなら賞金体系がやはりほかの地方とはレベルが違うから南関でもオープン、重賞級なら、地方交流重賞に打って出ることもできるし、当然番組もダートのみなのでJRAよりレース数も多いわけで。なので、南関はちょっと置いておいて、ほかの地方競馬はどうなのかというと、やっぱり厳しいかなと思うんだよね。
地方で勝鞍を重ねてJRAを復帰した馬たちを少し追いかけてみたんだけど、1勝Cで良くて掲示板というところで、ほとんどの馬が2桁着順というところかな。
地方で3勝するくらいというのはほとんどの場合B級前後。B級レースを勝てば60~100万くらいの賞金というのが地方競馬かな。
これらの馬がJRAでは、1勝Cで通用しないってレベルかな。もちろん成長の過程や適性の関係でJRAに言って勝ち上がって2勝C、3勝Cと出世する馬もいるよ。だから、全てがダメってわけではないが、逆にだ3勝Cくらいまで出世できるほどの実力であれば、その地方競馬ではA級のトップホースになりえる可能性があるってことね。ハヤテサカエオーのように。

美和
あっなるほど。そういう話ですね。なるほどなるほど。
ただ、それにしたって今の地方競馬の賞金体系だと。。。

静寂さん
そうだね。フォルティウスについてはそういう意味ではライオン18産駒牡馬で最安値募集馬だった。だからこそ、なおのこと地方でも回収できる可能性があるわけで、仮にだけど名古屋のA級、東海桜花賞なら、1着賞金600万だ。ね?A級まで行けるだけの力があるのなら息長くコツコツ走ってくれたら、フォルティウスなら回収もできるんじゃないかってね。
さらには、地方交流重賞もJRA出走は出走枠数がある。もちろん地方馬だって結果的にはあるけど、枠数としては地方の方が多いわけよ。だから、地方交流重賞も出走チャンスも地方所属の方が多いしななんてね。
まあこれもA級まで行けるだけの力があればの話だけどね。

美和
なるほどなるほどφ(..)メモメモ
いやぁ今日は昔の地方競馬の力関係とか賞金関係のお話が聞けて面白かったです!

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