日曜日の静寂

静かに。そして、強く生きていきたい。一口馬主とFXと。

一口馬主~キョウトシチー・タップダンスシチー・クラウンシチーと~

一口馬主研究会

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静寂さん
僕が初めて一口馬主を始めたころのお話をしようかな。
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美和
えっ?
いま、2017年度産駒からじゃないんですか?
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静寂さん
初めてやったのはも~~っと前なんだねw
それを今回はお話ししたいと思う。

金沢競馬

金沢競馬場。
週末は決まって金沢競馬場。
当時は、金沢競馬に三強と言われる馬がいた。
ハヤテサカエオー・エビスライトオー・タテヤマテイオーの3頭だ。
A1級のオープン特別にどれかの馬が出走してこれば当然◎が集中する。
金沢競馬の重賞なら、2頭は出てくるし、3頭、三つ巴の戦いになることも多かった。
そういった際は◎半分がハヤテサカエオー、残り半分がエビスライトオー、○もほとんどその2頭で使ったうえで▲がタテヤマテイオーという感じになる。
当時はこの中ではハヤテサカエオーが抜けた存在で普通に回ってこればハヤテサカエオーが勝つという構図だった。

枠番連勝単式

当時、JRAで馬連が導入されて間もないころだろう。
地方競馬で馬連を発売したとしても、そもそもほとんどのレースが8頭、9頭程度の少頭数が地方競馬だ。
あまり意味がない。なので、地方競馬では、JRAより早く連単形式の馬券種が発売されていた。
枠番連勝単式だ。
これは、1-2着の順番に当てないといけなくて、3-4と4-3という馬券種があるのだ。
この枠単でも、ハヤテサカエオー→エビスライトオーのオッズは1点台ということも多かった時代だ。

キョウトシチーとの出会い

そんな時代に、NAR(全国競馬協会。地方競馬の統括団体)とJRAは、地方交流重賞という制度を創設。
地方競馬の有名な重賞レースにグレード格をつけ、JRA所属馬にも出走枠を与え中央競馬と交流することが可能なグレードレースを創設した。
金沢では、当時は白山大賞典とサラブレッドチャレンジカップが交流重賞に指定された。
交流重賞第一回目となる1997年の白山大賞典にその馬は登場した。

1番人気

前年、東京大賞典に出走したハヤテサカエオー。金沢ではほぼ負けなしの成績でおまけに鞍上は武豊を超える連対率約50%を誇る天才渡辺壮騎手とくれば、いい走りをしてくれると信じていた。
このころは地方競馬場同士の交流も少なく、大井競馬場へ遠征に行くというのも大事件だった。
競馬場を挙げて応援していた。
そんな東京大賞典で8番人気11着。完全に力不足という感じで惨敗した。
勝った馬はキョウトシチーだ。
明けた97年。金沢の開幕は4月だが、4月に早速ハヤテサカエオーは出走。
秋の白山大賞典へ向けて、地固めしていく段階だっただろう。
しかし、4月の開幕戦は2着の惜敗。勝ったカズノリュウセイは、たまに逃げて大掛けするタイプで、今回は足元をすくわれたんだろうと思っていた。
カズノリュウセイはそこから三連勝。中日杯などの金沢の重賞を連勝する。
かたやハヤテサカエオーは、JTB省へ出走。圧倒的1番人気で、相手関係も昨年までは2つほど格下とみられる馬たちに負け6着。白山大賞典が交流重賞になったので金沢の重賞では一番大きなレースとなった百万石賞へと出走。
それでも今までの実績から1番人気となった。
レースは、今年に入って負けたカズノリュウセイとファーストサニーオには先着したが伏兵ドラゴンエースに足元をすくわれ1馬身差の2着。
世代交代を感じさせる一戦となった。
これで、ハヤテサカエオーは、白山大賞典を向かわないことになった。

勝てないキョウトシチー

96年の東京大賞典を制したキョウトシチー。
当時はダート最強馬の称号をもらってもいいくらいなのだが、なにせホクトベガがいた。
93年にエリザベス女王杯をあのベガをしのいで勝った馬だ。
そんなホクトベガが、96年になって突如ダートへ転向。
川崎記念に出走することになる。もともとデビューから3戦はダート戦でしかも3戦して2勝している。
父はナグルスキー。ナリタハヤブサなどダートで実績がある種牡馬なので、ダートで走ってもおかしくはなかっただろう。
しかし、牝馬で7歳。そして、川崎記念には当時はダートの王者と目されていたライブリマウントが出走していて1番人気、ホクトベガは2番人気となっていた。
レースは終わってみれば5馬身差の圧勝。
その後も、圧勝続きで7連勝。芝のレースを抜けばダート戦で9連勝という実績になり、ダートの女帝となる。
そんなホクトベガともろ被りの世代のため、どうしても陰に隠れてしまうのだった。
97年の川崎記念でそのホクトベガと相対することになるが、3馬身差の2着と、完敗といえる内容で負けてしまう。
しかし、ホクトベガはその後、ドバイワールドカップへ出走。ドバイの地で星となってしまう。
その結果、押し出されるような形でダート最強馬はキョウトシチーと言われるようになっていくが、勝てない。
足元をすくわれる格好になることが多かった。

賞金を拾いに来た

東京大賞典以来勝てないまま秋になり、白山大賞典への出走が決まった。
当時のライバルは、オグリキャップ記念を勝っている9歳馬キソジゴールド、4歳(現在の性齢でいえば3歳)時にセントライト記念を勝っているウィンドフィールズくらい。力関係だけでいえば2つほどとびぬけているキョウトシチー。
当時は、賞金を拾いに来たと揶揄されたものだ。

揃いのグッズ

JRAの重賞級の競走馬を見る機会などほとんどない北陸住まいの私は、馬がどれだけ違うのかも見たいし、松永幹夫や田中勝春も見たい一心で競馬場に行った。
そうすると一角に、赤青白のトリコロールカラーのグッズやら垂れ幕やらを持っている集団がいた。
垂れ幕には【がんばれシチー軍団】と書いてあった。
ああ。キョウトシチーの応援団か。気合入ってるなー揃いのグッズまで作って...と。

圧勝…そして握手…

レースは、キョウトシチーの完勝。直線向いたときにはもう勝ちを確信するような。結果4馬身差の圧勝。
久々の勝利であった。
その時、キョウトシチー応援団の集団を見ると、握手して肩をたたき合っている。
なんかちょっと違うんだよな。。ただただファンで応援しているのとは違うなにかが。

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